社会人9年目の戯言~「懲役40年」~

今回ブログを書こうと思ったきっかけは、

ヤフーニュースに出てたこの記事。

ツイッターのホットワードに出てくるほどにもなった「懲役40年」という言葉から新社会人へのアドバイスとした記事です。しかし、失礼を承知で言わせていただくと、社会人9年目の戯言ではありますが、ただの自転車じゃ例えとして生ぬるいと思ってます。

 

 

 もし、読んでくださるのでしたら、ここからは社会人9年目になる奴の戯言と思って読んでください。

 

 

 そもそも、社会人生活を指す言葉として、何で「懲役40年」なんて

いう言葉が出てきたのかということを考察してみます。

 

「懲役」とは犯罪を犯した人が法の下に裁かれた結果、更生し社会復帰を目指しながら刑務所で送る束縛された生活・労働のことというのは言わずもがなだと思います。

そして40年という年数。たとえば一般的な大卒だと22歳から40年で62歳。これは恐らく会社に就職するなどして働いたときのおおよそ定年までの年数でしょう。

ここから察するに、会社に就職して約40年働くことを「懲役40年」と例えているのだと推測できます。

そこから見えてくることは、

過労死が起こるほどの過重労働やパワハラがはびこる会社、そしてミスに不寛容な社会・・・その中で働くことは犯罪者が後ろ指を刺される思いで送る、束縛された生活や労働と変わらないと思っている

ということではないでしょうか?

 

 

他人が設立した会社に雇われて面倒見てもらおうというのに何が懲役だ、そんな奴はいらん!という見方もあるでしょう。しかし、束縛され身体を壊すほどの労働をして過労死に追い込まれたり、そうでなくともうつ病などになって働けなくなる人が出ているのも事実です。

そんな状況を見聞きしている中で、「会社に入ってうまく働ければいいけど、もしそうでなかったらどうしよう」という思いを抱くのは至極自然なことではないかと思うのです。

 

昨年から企業のパワハラ、過労死、過重労働が問題になっています。政府も残業の規制を掛けようとしています。しかし、月最大100時間を年6回までなどという生ぬるい案になっている模様です。今までなかった規制を掛けるというのはいいのですが・・・

このことも拍車をかける一因ではないでしょうか。

 

 

 

さて、本題の「ただの自転車じゃ例えとして生ぬるい」ですが・・・

引用元の記事には、「子どもの自転車と構造は同じ、とお伝えしましたが、もっと言えば、学生や新社会人のほとんどは自転車に乗ることができます。 」とあります。

(この「構造が同じ」とは、「学生や新社会人が就活や社会人生活に対する不安感と構造が同じ」と文中で説明されています。)

そして、「学生や社会人で自転車に乗れない人はそうそういません。」とも書かれています。

 

確かに、ほとんどの大人は自転車に乗れるでしょう。

そしてその裏には過去に自転車に乗ろうと四苦八苦して、時には親や周りの人に助けてもらい、時には転んで泣いたり、といった苦い経験をお持ちではないかと思います。

例えに自転車を使うのは悪くはありません。

しかし、ほとんどの人が会社勤めに失敗していないかというとそうではありませんよね?

どんなに真面目な人でも、会社勤めに失敗して働けない人がいることや、誰にでもその危険があることを忘れていませんか?

ただの自転車じゃ物足りないと考えたのはここです。

 

私は、会社勤めとは例えば高さ、長さ、幅が変えられる平均台の上で自転車に乗っているようなものと考えています。

なぜ平均台なのか、それは・・・

  • 平均台の高さ・・・社会的もしくは社内での地位
  • 平均台の長さ・・・求められる仕事の量
  • その中で自転車をこぐ速さ・・・求められる仕事の速さ
  • 自転車のタイヤが接している面の幅・・・バランスを崩しても落ちることのないゾーンの量(失敗しても挽回しやすいか)
  • 周囲の保護の有無・・・バランスを崩して落ちた時のセーフティーネット

が、ファクターとして似ていると思ったからです。

 

最初は平均台の低く長さも短く、自転車をこぐ速さも「ゆっくりでいいから」と言われると思います。そして、自転車のタイヤが接している面の幅も周囲の保護もまあまああり、助けもあることでしょう。

 

しかし、ある程度慣れてくると平均台の長さも長くなり、1日で終点まで到達できないと帰れないという状況も手伝って、こぐ速さももっと早くせざるを得なくなり、自転車のタイヤが接している面の幅だって狭くなったり、もし狭くなっていないとしてもこぐ速度が速い分だけ少しのミスで落下したりする危険をはらむということになってきます。さらに経験年数や昇進の度合いで平均台の高さだって高くなっていきます。周囲の保護だって落ちてみなければエアマットがあるのか、コンクリートにたたきつけられるのかわかりません。

 

ここでもし平均台から落ちてしまったとします。今までにあげたいろいろな要因により身体の痛さや傷の度合いは変わってきます。

しかし、会社から要求されることはそんなことでは変わりません。

再び平均台に上り、落ちた直前のスピードで自転車をこげ

ほとんどはこの1点に集約されると思います。

 

多くの場合平均台の高さが高くても、エレベーターのようなもので一瞬で元の平均台まで帰ってこられます。しかし時には会社側が気にかけて、同じ高さの違う平均台に上がることや、稀に元の高さより低い平均台に上がることを指示されたりします。

最悪の場合、永遠に自分たちの会社の平均台に上がるなと言われることも有り得ますが、こういう場合はよっぽどひどいミスをしたか、わざと相当ひどいことをやったかという時だけなのでよほどのことがない限りは考えなくていいでしょう。

さて先の文で、例えに自転車を使うのは悪くはありませんと書きました。自転車の例えはここから活きてくるのです。

 

ここまででも非常に長文になってしまいました。こんな戯言なのに読んでくださっている人には感謝、感謝です。あともう少しですから、もうちょっとお時間とお目を拝借。そこまで根詰めて読むようなものではないので、休憩しつつ気楽に読んでいただければと思います。

 

さて、引用元の記事では新社会人に向けてアドバイスをして締めくくっています。

ここまでの私の文章だと結局言うだけ言って何もないのか!とお叱りが来そうなので、社会人9年目の私が言うのもおこがましいですが、現時点での不完全な私からの、私なりのアドバイスを書きます。

 

話を平均台から落ちたときに戻しましょう。

ここで「大した怪我じゃない」と元の平均台にすぐ戻れるうちはまだいいのです。問題は、元の平均台に戻る気は十分あるのに身体がついていかないときや、平均台に戻る気力がなくなってしまったときのこと。

おこがましい例えで恐縮ですが、仮に人生を自転車をこいでゴールに行くことだとしたら・・・

もとの平均台に戻って進めるのならいいけど、もしあまりに高いところから落ちたり、またそこまで高いところじゃなくても衝撃をうまく吸収できずしばらく動けない痛みだとしたら・・・

真面目な人ほど痛みをこらえ、すぐに元の平均台に上って会社勤めを再開するように考えると思います。しかし、身体か心あるいはその両方により再開できる状況にありません。

無理にでも働く・・・もし、過重労働が直接・間接にせよ平均台から落ちた原因になっているとすれば、それは過労死への引き金になりかねません。

会社で仕事することだけが人生へのゴールへ行く道ではないはずです。

 

ちょっと自転車を止めて周りを見てみると、同じように疲れたからと自転車を止めて休憩している人、平坦な道でも自転車で転んで傷の手当てをしている人、平均台に上らなくても自転車をゆっくりゆっくりこいでいる人といろいろな人がいるはず。

休んでまた元の平均台に上る勇気が出たなら上るもよし、もうあんな高い場所が嫌だから違う会社の低い平均台にするもよし、平坦な道をゆっくりゆっくりこぐもよし、生活は苦しくなるかもしれないけど、会社に頼らない選択肢だって何通りもある・・・

これは自戒を込めて書いています。

 

問題なのはこのような選択肢がまだまだ日本では取りづらいこと。

本当はこういう選択肢だって取っていいはずなのに、平均台から落ちた人や平均台に乗れなかった人に対してやけに日本社会が厳しい。

税金だけはやたら取り、一方で政治とカネをめぐる問題はいつになってもなくなることはない・・・

そして、過労死や心の病に追い込まれるまで仕事をし続けねばならず、その結果体調を崩した人にその後のセーフティネットが少なすぎる・・・

 

などと気が付けば3500字オーバー。疲れてきたのでこのあたりで終わりにしたいと思います。

かなりの長文になってしまいましたが、読んでくださった方にはこんな戯言にお付き合いいただいてありがとうございました。

そして本当にお疲れ様でした。

 

 

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